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     フナクリ通信 ピンクのバラ
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ゲスト
投稿日時: 2006-6-30 10:10
フナクリ通信 ピンクのバラ
えー と申します。
岐阜養老町にある船戸クリニックの院長 船戸 崇史先生のエッセイを投稿させていただきます。
ここから

                                             船戸クリニック 
                                                 院長  船戸崇史


 死ぬ瞬間を著したエリザベス・キュプラー・ロスは本文で死に至る5段階説を説いています。沢山の死の看取りの中から、人がどのように死を受け入れて行くかを客観的なまなざしで彼女は見続けました。

 人は死を宣告されてから、ショックを受け否認する1段階。
次になぜ私がそんな目にあわなければならないのかと怒りがこみ上げる2段階。
そして次に治る代償としての治療行為をする取引の段階、これが3段階で、ここに来て初めてその方と対話が出来るようになるといわれています。

 しかし、ついに状況は悪化し、所詮駄目だと抑うつの段階、第4段階に至ります。
 そして最終的には、人はいつか死ぬ、私も例外ではないと受容する段階、5段階へと進んでゆくというのです。

 この5段階は、順次進むと言うより、行ったり来たりをしながら進むといわれますし、重なって存在する時もあるようです。また、1段階(否認)や2段階(怒り)、また4段階(抑うつ)では周囲との関係性を閉鎖するために、慰めやアドバイスは殆ど余計なお節介になりかねません。傍にいて最大限、ただ見守る姿勢が大切であると言われます。

 一方、3段階(取引)と5段階(受容)は心を開いている状況なので、対話が成立します。
 ただし、取引での対話は未来への願いが語られますが、受容での対話は過去への感謝が語られることが多いと感じています。
 殊に受容の段階は既に動けなくなり、声も出ない状況であることが多く、その人との対話はその方の心の声を聞く必要があります。しかし、癌末期状態であろうと、最期まで共に生き方を模索し、共に歩んだ方は不思議に心の声えが聞こえてくる気がします。

 今回は、そんなNさんの人生を紹介いたしましょう。

  Nさんの闘病


 Nさんは、過日大腸癌で亡くなられました。享年58歳。

 この方とは、平成16年の8月からの付き合いで、一緒に中国の気功ツアーにも参加され、ツアー中、往路にて飛行機の中で死を迎えられたKさんとも出会われました。このKさんの死は同行した45名のツアーメンバーの誰もが等しく強いショックを受けましたが、特に大腸癌が肝臓に転移して痛みを押して参加されたNさんには強烈でした。

 しかし、NさんはKさんの死を見据えた生き方に感動し、元気を貰ったと述べられました。それまでが「病人らしく」が口癖だったNさんは、積極的に行動されるようになったのです。決して行けないと諦めていたイギリスのフィンドホンへも行かれ、沢山の楽しい思い出を作られたと聞きます。

 クリニックではますます積極的に新たなテラピーやヒーリングワークなどに参加されました。
 平成17年の11月には2度めの気功ツアーにて屋久島へ行かれましたが、この時には、肝臓から肺にも転移を来たし、時に胸痛と血痰に不安を抱きながらの参加でした。ツアー中もNさんはベッドや椅子に伏して動けなくなることも度々でしたが、肉体的には痛みだけではなく、不安の要素が多きいことは明らかでした。
 しかし、好きなワインを飲まれると人が変わったように元気になられ、一緒に歌い、踊りました。しかし、病状はゆっくり進行しました。一人住まいのため、身の回りのまかないが辛くなってゆかれました。
 
 入院


 そして、近くの病院へ入院。市中病院とは言え、ターミナルケアに理解のある院長の計らいのお陰でした。ここには、ともに気功ツアーなどに参加した看護師長がいました。この看護師長や病院のスタッフはよくケアされました。Nさんは非常に綺麗好きでいつも体を綺麗に包んで居られました。同時にグルメで風流な文化人でもありました。三味線をたしなまれ、美味しいワインには目がなく、入院されてからも時に美味しいものを求めて外出されたとも聞きます。

 平成18年4月28日には、三味線の大会を控えていました。その準備をしなくてはと、申されましたが、私はそれまで時間があることを願いました。

 そうしたある日、Nさんは呂律が回りにくいことに気が付きます。同時に右手が上手く動かない。そして頭部CTにて脳への転移が確認されたのです。
 何と言うことでしょうか。心配性をあざ笑うかのごとき、仕打ちとも言えるほどの現実。彼女の願いとは裏腹に、こうして病状は徐々に進行してゆくのでした。その後一時は、ステロイドと脳圧降下剤で症状の改善を得られたものの、再度悪化するのは時間の問題と思われました。

 そんなある日、私は一時外泊された彼女のマンションを訪問しました。部屋に入るやいなや、彼女はわたしの手をしっかり握って大粒の涙を流されました。彼女の頭には死の一文字だけがしがみついているようでした。私はそれが涙に溶けて流れることを願いました。それからのひと時、死について話しました。


 死なない人はいない。でもだれも死ぬと思って生きていないし、死ぬために生きているわけじゃない。行ったことがないから死ぬのが恐いのは当然だよ・・・あるのはきっと順番だけなんだ・・・


 それから何時ものようにあの世の話になりました。
ひとしきり涙を流されてから、Nさんはにこやかに微笑まれて言われました。

「私は自分の葬式をプロデュースするのよ。それって素敵だと思いませんか?大体私はあの白い菊の花に線香は嫌なの。どうせ飾るなら、バラが素敵だと思いませんか?ピンクのバラ・・・」私は彼女にはお似合いだと思いました。


 幾日もたたず、再度、呂律が回りにくくなり、手も動かなくなってゆかれました。話が出来ないほどもどかしいものはありません。彼女に出来ることは、ただ頷くことだけだったのです。YESかNOのどちらか。これから起こるであろう事の不安を共に語り理解してもらえる手段は奪われました。

 この状況に怒り、ショックは飛び越し、長いうつの時期。
ついに食事が咽を通らなくなります。Nさんは死ぬ時期を身近に感じました。

 3月24日、彼女は殆ど飲めない状況の中で、とうとう点滴を拒否しました。家族や医師や看護師長の再三の確認に、点滴NOを固持したのです。死の決意でした。

奇跡

翌日そのことを聞いた私は訪問しました。・・・お別れを言うために。Nさんは静かにベッドの上で休まれていました。静かに語りかけると、Nさんは目を覚まされ、私を確認すると微笑まれました。彼女の手を握ると以前より一際細く感じました。

 彼女の深みから感謝の気持ちが、彼女の微笑とそのか細い指からなんとなく、しかしはっきり感じられました。私は伝えました。「Nさん、ありがとうね。一杯の思い出をくれたね。どれも、楽しい思い出だった。先に行って、待っててくれるかな。心配ないよ。
 いずれ僕たちも逝く。誰が先に逝くかという問題だけだ。ひょっとして、明日、僕かもしれない。その時には、向こうで待ってるよ。しかし、楽しかった。あなたのアフリカンダンスは一番うまかった。でも、あなたの三味線、聞きたかったな。これは来世の楽しみにしようかな。屋久島、楽しかったね。あなたの、万歳の写真、あれはとっても素敵だったな・・・。なぜだろう、私は目をつぶると、あなたのイメージはあの写真なんだよ。空へ向って両手を広げているんだ。最高って言っているようにね。」

 Nさんは、静かな笑顔をたたえて、涙を流しながら何回も頷かれました。

 この時私は、さようならが言えませんでした。
Nさんの目に輝きがあったから。
最後に私は伝えました。「・・・また来るよ・・。」

 そして、彼女が死を決意してから、奇跡が起こりました。癌末期の状況にあって、通常全く食事をせず水分もとらなければ、1週間ももちません。


 しかし、彼女は穏やかな微笑みを浮かべたまま毎日を平穏に過ごされたのでした。

4月5日、最期のお別れを言いに伺ってから既に10日が過ぎていました。

 Nさんは、静かに目を閉じ、意識もいったり来たりの状況でした。部屋に入って手を握ると、彼女は気が付きました。こちらを見て認知できたようで、静かに微笑まれました。これが最期の微笑となりました。

 私は告げました。「・・ありがとう。先逝っててね。それまでの一時のお別れだ。それまで、さようなら、また逢おう・・・。」

 4月9日 静かに永眠。

 実に2週間。全く飲まず食わずの状態。しかも、笑顔で昇天されました。
 2週間、死なないのが奇跡ではありません。あれだけ不安と恐怖に苛まれ、浮き沈みの激しかったNさんが、自分自身の死を見据え、死を決意して尚、微笑みを返してくれるという彼女の存在の軽さ。そして屈託のない微笑み。彼女の中の一体どこにこの境地が存在していたのでしょうか。わたしには奇跡としか思えませんでした。

 Nさんは、こうして亡くなられました。しかし、もし彼女が奇跡的な治癒から生還したとしても、いずれまた彼女には逝く日が必ず来ます。生き続ける事は出来ないからです。だからこそ大切な事は、いずれくるその日まで、彼女がどう生きることができ、我々がどうサポートできるのか。

 Nさんの葬儀は家族だけの密葬となりました。
にこやかな遺影はピンクのバラに包まれていました。


 Nさんのプロデュースどおりでした。


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