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投稿者 スレッド
ゲスト
投稿日時: 2010-3-30 7:44
フナクリ通信・2

 1、医療行為の目的の転換

 敢えて問われるまでもなく、医療の目的は「直す」事(キュア)です。この目的は殊の外医療者には深く強く染みつき時に信念にすらなっています。ところがターミナルケアとると、この信念が曲者となることがあります。なぜなら、ターミナルとは、直せなくなった状況であるにも拘わらず、ケアをする医療者(とりわけ医師)はパラダイムを変更(転換)できずにいる(直らないのに直す)からです。
 
 行われる医療の目的や行為の一切は、キュアからケアへギアチェンジする必要があります。つまり医療の目的が、「直し修復するサポート」から「健全な死のサポート」へとシフトすることなんですね。これは関わる全ての医療者のみならず、出来たら患者本人や家族にも必要となります。最終的に必ず訪れる「その人の死」から顧みた時に、この「ギアチェンジの具合」が間違いなく「ターミナルケアの満足度」に一致すると感じています。

 では「健全な死」とは何でしょうか?また、本来死に健全か否かを問う事自体に意味があるのでしょうか?私は在宅の現場では、亡くなられた後に「その人の死に様」は「遺された者の生き様」になる事を多く経験しています。そして遺された遺族もその死を「望ましい死に方」と表現され感謝されました。つまり、「健全な死」とは、「遺された者の生き様となるような死に方(満足度の高い死)」と定義できると思っています。

 では「健全な死」を評価する指標はあるのでしようか?私は、在宅で先の満足度の高いケアが出来た時にその家族を包む思いがある事を学びました。それは、言葉と態度で織なされる「感謝の思い」です。患者は家族へ。家族は患者へ。伝えられる言葉は「ごめんね」「ありがとう」「また逢おう」でした。私は「感謝の思いと言葉」が「健全な死」の指標と言えると思います。そして、病院勤務医時代と開業し在宅医療の現場とを比較すると、健全な死は、その人が生きてきた場所、つまり在宅の方が多く体験させて頂きました。勿論、病院でも感謝の言葉はあります。しかし、最期に患者が「家へ帰りたい」と申される以上、きっと自宅は「健全な死に場所」として最も相応しいのではないかと思います。

 そして、もう一つ重要な事。実は「直し修復するサポート」を行うキュアの段階ですら、実はこの「健全な死」の条件である「感謝の思い」は、なんら医療行為の弊害とはならないという事を心に銘記する必要があると思います。








 ↑ 「感謝の思いと言葉」のある死に場所がある・・・それが自宅


 2、医療者の死生観の確立と共有

 ターミナルに拘わらず、我々医療者は詰まる所患者や家族の痛みにどう向き合う(ケアする)かです。痛みには肉体的・精神的・社会的・霊的とありますが、各々に対するケアがある中で最も対応に苦慮するのが霊的痛み(スピリチュアルペイン)に対して行われる霊的ケア(スピリチュアルケア)だと感じています。まさに、このスピリチュアルケアに真摯に取り組もうとする場合、最も必要でありながら、同時に最も障害となりうるのが「医療者の死生観」ではないでしょうか。

 「私の人生何だったのか?」「死んだらどうなる?」「私たちはどこからきてどこへ行く存在か?」「あの世はあるのか?」などが、まさにスピリチュアルペインですね。この言葉のままが、医療の現場で問われる事もありますが、従来この部分は宗教の範囲と考えられていました。しかし、現在,我々医療者が公然と提案できる宗教は見当りません。そこで当院では、元福島大学経済学部教授の飯田史彦氏の「生きがい論」を「医療者の死生観」のベースにして対応する事にしています。ただし、生きがい論は宗教ではないとはいえ、以下に示す3点は十分留意する必要があります。

 ① 積極的に傾聴の態度に徹し、Openmindとopen question に勤める。
 ② 宗教を含め本人と家族の価値観を尊重する。
 ③ よって、拒否反応がある場合は強要しない態度を心がける。
   もし拒否反応があれば、提案しない事にしていますが、末期の状態では生きがい論を拒否された事例は経験していません。

 「飯田氏の生きがい論とは」

 飯田氏は企業文化論、人事管理論などを研究する科学者です。飯田氏が注目したのは、欧米の信頼できる研究者による、「臨死体験者の研究」「過去生を記憶する子どもたちの研究」「退行催眠による研究」などから得られる共通の「死後の世界観」を「信じた」時に自ずと鼓舞される「生きがい」により、人々が再び元気を取り戻してゆく姿でした。飯田氏は以下の様に述べています。

 「我々は、『死後の生命』や『生まれ変わり』め知識を身につけることによって、自分自身の存在意義や人生の目的を聞い直し、過去の人生や現在の状況がいかなるものであろうとも、そこには必ず重要な意味が込められていることを認識することができる。その知識は『生きがいの源泉』の役割を果たし、自分を取り巻くあらゆる事象や人物、生物たちに対する『愛の源泉』にもなることだろう。その過程では、多くの人々が、価値観の本質的な揺らぎと転換を経験するに違いない。このような効果を、特定宗教を信じない人々や、宗教を拒絶する人々にも与えることができる点が、『死後の生命』や『生まれ変わり』に関する科学的研究を広く紹介することの意義であると言えよう。」(詳細は、飯田史彦著、PHP出版「生きがいの創造」(図1)ほか著書多数)








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 死生観の確認

 第1章 過去の人生の記憶
  第1節 退行催眠の方法
  第2節 蘇った記憶
 第2章 人生のしくみ
  第1節 「中間生」への帰還
  第2節 人生の自己評価
  第3節 人生の自己計画
  第4節 全てのことには意味がある
  第5節 ソウルメイトたちとの関係
  第6節 愛することへの挑戦
  第7節 最適な親を選択
  第8節 物質世界への再訪
 第3章 愛する故人とのコミニケーション
  第1節 愛する故人との再会
  第2節 愛する故人からのメッセージ
 第4章 「永遠の生命」を科学する意味
  第1節 「死後生仮説」の説得力
  第2節 「死後生仮説」の優位性
 第5章 「ブレイクスルー思考」による生きがい論
  第1節 信じることの価値
  第2節 ブレイクスルー思考の基本原則
  第3節 人生を変える5つの仮設
  第4節 「スピリチュアルな人生観」の重要性
  第5節 「生きがい論」からのメッセージ
  第6節 「生きがい」の神様
    (図1「生きがいの創造」目次)
――――――――――――――――――――――――――――――

 この研究より、「生きがい」を創造する5つの仮説が示されたと飯田氏は述べておられます。実は当院ではこの価値観こそが、在宅緩和ケアを実施するに最も根幹をなす、チームで共有すべき価値観となっています。
 1、死後生仮説:人の死とは、肉体を離れて生きることに他ならない。我々は死んでも生きている。(死とは、肉体を離れて生きるという事)
 2、生まれ変わり仮説:我々は、何度も生まれ変わっている存在である。
 3、ソウルメイト仮説:我々の周囲、親子、兄弟姉妹、友人、ライバル、宿敵までもが本当は会いたくて会いたくて恋い焦がれた魂たちである。
 4、因果関係仮説:自ら出したものは必ず自らに戻ってくる。よって、私たちは、自分に返ってほしい事だけを人に行えばよい。
5、 ライフレッスン仮説:自らの人生は、どれだけ苦しく辛い人生でも、全ては自らが計画した人生である。

 では、これらの価値観が、在宅ターミナルケアにおいて癌末期の患者さん、ご家族にどういう影響を与えるのでしょうか?

 1、死後生仮説により、これを信じる事が出来れば、自ずと死への恐怖を払拭することが出来る。これは、飯田氏のみでなく、上智大学名著教授、アルフォンス・デーケン氏も同様の内容を述べている。エリザベス・K・ロス博士の死に至る5段階説(ショック・怒り・取引・うつ・受容)に加え、6段階目を提案された。「死後の永遠の生命を信じる人の場合は、「受容」の段階にとどまらず、死後に愛する人と再会することへの期待と永遠の未来に対する希望を抱きながら明るく能動的に死を待ち望む人が多い」という。この考えは、在宅に拘わらず、-末期患者の死の恐怖に対しての究極的なケアとなりうる。

 2、生まれ変わり仮説により、「愛する人とまた逢える」「なしえなかった夢を次の人生で実現する」など、死後再度生まれ変わるからこそ持てる希望がある。看取る側も看取られる側も永久の別れと思わず、「また逢える」という思いは別れの辛さを軽減させる。

 3、ソウルメイト仮貢削こより、愛する人や逢いたい人には、必ず会えることになる。今が辛く苦しくとも、死後の再会の楽しみが今を乗り越える勇気と力を与えてくれる。
   ご遺族への大きなグリーフケアとなる。

 4、因果関係仮説により、癌の原因を外に求めていた人が、全て自らにも原因があったと自らの非を認める。これにより、癒になっても、いやなったからこそ気が付けたと深謝と感謝が述べられる。ご遺族への大きなグリーフケアとなる。

 5、ライフレッスン仮説により、「自分の人生を自らが計画を立てていた」とは「乗り越えられない試練はない」ということであり、「人生は思い通りではないが予定通りである」ということになる。つまり「自分に訪れた病気が重ければ重いほど、人生が辛ければ辛いほど、自分はそれにチャレンジするに値する、素晴らしい魂である」という事になる。

 これは、最期自らの終焉を覚悟した時に、「自分の人生に意味などなかった」とスピリチュアルペインに苛まれた人を、深く癒し励ます価値観となりうると思われます。
 当院のスタッフは、これら価値観を有した上で、診療に従事しています。
 ではどのようにこうした知識を在宅ターミナル医療の現場で実践しているかをご紹介しましょう。

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題名 投稿者 日時
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