メロウライフ館・スタッフより
本稿は、えーさんよりいただいたものです。
転載の許可は、えーさんを通じて著者船戸崇史様より頂戴しております。
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本稿は、ホリステック医学雑誌投稿原稿をフナクリ通信用に加筆、修正しました。
もろもろ不安の多い年明けですが、当院は今年も前向きに皆さんの健康をサポートしてまいりたいと願いっています。
雨降って地固まる。。。降り過ぎは困りますが。。。
本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。 2010年 元旦
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在宅におけるターミナルケア
(~有機的多職種連携のチーム医療とは~)
船戸崇史
はじめに
今回、私に与えられたテーマは在宅におけるターミナルケアですが、時代背景がこれから数十年き大きく変わると予想されます。まずはこの時代背景を理解した上で、「在宅で死ぬ(死ねる)」意味などを検討したく思います。
現在、日本では年間約100万人強の人が亡くなっておられます。その約30%が癌ですが、今後も癌の比率は増えると予想されています。そして今後、団塊の世代が老齢化し 20年後には160万人が亡くなられるとされ、癌死は単純計算でも48万人以上と予測されています。
2年前に厚生労働省老人局のS課長の講演では、「現在の病院死、在宅死、ホスピス死などを今の枠組みで出来るだけの看取りを想定しても2030年、死に場所がなくなる人が47万人となります」との事でした(グラフ1)。
この時のフロアからの質問に私は衝撃を受けました。フロアからは「その47万人の人へは、国(厚生労働省)は何か良い施策を持っていらっしゃるのですか?」という的を得た質問でした。
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(グラフ1)
S裸長の回答は「・‥ありません」でした。‥・これが現実です。
さて、あなたは、20年後、看取る側?それとも看取られる側?
私は、何とか地域で生きて地域で死んでゆくサポートがしたいと願って、15年前に開業し、現在も在宅医療を行っています。理由は、たくさんの看取りの中で、殆どの人が「家で死にたい」と申されたからに他なりません。
しかし、2005年統計では、病院死が82%、在宅死が12%です。家で死にたいと言いながら、なぜ家で死ねないのでしょうか?それは、最期の最期は家族に迷惑をかけたくない」が約8割、「死の恐怖や死までの過程の不安」が約6割となっています。
しかし、今から約50年前、1950年代までは、実は在宅での死亡率は8割を超えていました(グラフ2)。では、その当時には「家族への思いやり」や「死の恐怖、不安」はなかったのでしょうか?いや、きっとあったに違いありません。では何が違うのでしょうか?私は本当の理由は別にあると思っています。
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(グラフ2)
それは、「覚悟」だと思っています。「人は死ぬもの」という覚悟がない。患者は死にたくない、家族も死なせたくない、医療者も死は敗北ですから、全員死から離れたいのです。
医学の進歩は、確かに人類に寿命の延長と言う恩恵を与えてくれましたが、同時に「死の覚悟」を奪い去ったと言っても過言ではありません。死にたくないのは本能として当然でも、死は摂理として自然であるということ。
私たちは今こそ自然に返る必要があるのかもしれません。
ではどうしたら、そういう視点を持ち、ケアが出来るのでしょうか?当院の取り組みをご紹介いたしましょう。
ターミナルケアを実践するには次の3つの視点が大切であると思っています。
1、 医療行為の目的の転換
2、 医療者の死生観の確立と共有
3、 実践としてのチーム医療(有機的多職種連携チーム医療)